2011年05月05日

SFセミナー合宿企画「三十年目のラファティ」メモ

SFセミナーに行ってきた。二年振りになるのか。すごく久しぶりな気がしていたがそうでもなかった。レクチャーを聴き、友人知人に会い、初対面の方から興味深いお話を聴き、そして個人的なメインディッシュであったラファティ企画を堪能。企画のテキストとして編集された「長い火曜の夜だった」は読みものとしても資料としても大満足、ファン必携ですよと吹いておく。
さておき、ラファティ企画を聞きながら興味を持った点について(主に柳下毅一郎氏の発言、刊行予定の長編『第四の館』と、ラファティのカソリック性についての推察を中心に)ちょいちょいノートをとっておいたので打ち込んでおく。間違い、誤解、そもそも公開に問題などあればお手数ですが米欄などに願いします。
また本企画は提供のSFファン交流会スタッフの方のはからいによりストリーミング中継されていたが、やはり直前に決定された中継だったためか、聴き逃した方、聞こえにくかった方が少なくない様子。そういった方々には申し訳ないが、これは記録としてはまったく不完全である。このような話題もあった、というものだと思っていただきたい。むしろ僕が完全な記録がほしい。

 * * *

○『第四の館』の翻訳
『第四の館』の翻訳は『宇宙舟歌』などよりも難しい。善と悪の戦いであり、様々な登場人物が演説などで主張しあう。主人公は善であり、その敵役が悪なのは当然として、他のキャラクターたちが善なのか悪なのか分からない。その論理が分からないと訳せない。
「銀河」(ルイス・ブニュエル監督)はサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を舞台に、様々な異説を唱える巡礼が現れる。『第四の館』も同様、登場人物それぞれの信仰の段階や、そもそも認められる信仰なのか否かが問題。これが読解を、翻訳を難しくさせている。

○高橋源一郎の評論エッセイ(『文学王』?)において『シンドバッド十三回目の航海』が紹介された際、大森氏にとある出版社(聞き取れず)の海外文学シリーズの一本として出版しないかという提案があった。が、そののちシリーズごと没になってしまった。柳下氏の苦労談を聞くと、引き受けなくてよかったかも。

○『第四の館』でラファティの初期長編六作目までが翻訳されたことになる。(テキストの出版年表によると:@『トマス・モアの大冒険』出版は68年、邦訳は93年。A『地球礁』68→02。B『宇宙舟歌』68→05。C『第四の館』69→11予定。D『悪魔は死んだ』71→86。E『イースターワインに到着』71→86)

○『第四の館』タイトル
企画テキスト掲載の「アビラの聖テレサと神の館(『第四の館』解説より)」に基づいて、タイトルの第四の館とは何かとの解説。(ちなみに原稿は解説よりとなっているが、解説はまだ書き上がっていないとのこと)
アビラの聖テレサとは、神との合一を体験したと伝えられる聖女。彼女が自身の体験を解説したのが『霊魂の城』という書物。『霊魂の城』においては、人間の霊魂はクリスタルの城に例えられ、城の七つの部屋は上昇の段階をしめす。第一の部屋「信仰を持つ」から、第七「一切のおそれがなくなる」までの段階だが、ラファティがタイトルに使用した第四は、はじめて信徒に神が降りてくところである。またここでは理性が超越される。(神が降りてくるのは道の半ばに過ぎない)

○ラファティのホラ話ではない面
ホラ吹きと言われることが多いが、非常にインテリである。ただしその知識を独自の論理に基づいて語るので、相手に通じにくい。しかし、彼なりの論理は存在している。それこそ「よっぱらい」の不可解な言動ようなもの。
ホラ話や奇想SFがラファティの意図のすべてだとは言えないのではないか、違う面、違うレベルがあるのではと柳下氏は最近気にしている。

○昨年の京フェス合宿企画「ラファティの次に読む100冊を考えよう」で、柳下氏が推薦図書として上げた「黄金伝説」(ヤコブス・デ・ウォラギネ)などを読めば、見え方が変わる。聖人伝であるが、聖人は必ず最期は殉教する。手足を切り落とされながらありがたがる。これはなにか?

○(続き)カトリックの人間観、柳下氏の見解
実家がプロテスタントであり、そうではない日本人よりはクリスチャンに関する知識が自然とあるはずである。同時にクリスチャン的なものが気になる。しかしカソリックについては結局わかっているつもりだったことに気づいた。
日本のクリスチャンはリベラリスト、究極的に性善説に則っている善人が多い。しかしこれはプロテスタントだからであり、カソリックはまた異なる人間観を持っているのではないか。プロテスタントは神を信じることを選び、信仰を通じて神と契約を結ぶものだと理解している。しかしカソリックにとって、信仰は生まれながらのものであり、個人の信じる信じないの選択はありえない。そして誰かに奇跡として神のしるしが現れ、それに理由はない。ヨブ記や旧約聖書に書かれているように、善人だから救われる、信じているから救われるということはなく、それは神次第である。人間はちっぽけで、何をやっても無駄だけど、神の恩寵のみが救ってくれる、一種の人間不信。
ラファティの作品世界では人はすぐに死ぬ。殺される。救われるかどうかも定かではない。このあたりがカソリック的世界観のあらわれではないだろうか。そして、人間不信であるのに絶望しない。何故か? ラファティには神がいるから絶望しないとして、われわれ(日本の読者のことか?)はどうすればよいのか?

○ラファティのカソリックっぷりの一例、反共小説"Civil Blood"を書いている(反共主義)。またそれゆえにベトナム戦争支持派であった。(後で「一切衆生」は、つまりそういう話だったのではないかと考えた。味方同士で守るべき人間性を否定しあう逆説。あるいは逆で、「反共」も人間性の防衛にまつわる問題の具体例であったのかも)

○井上央、浅倉久志の訳者あとがき、そしてテキストに訳載されたM・スワンウィックがラファティ短編集に寄せた序文「絶望とダック・レディ」、いずれにも「ラファティ小説が示す希望」について言及がある。これは何処からくるのか?

○本国でのラファティ出版状況
初期はデーモン・ナイトなど鑑識眼の確かな編集の元で厳しくダメだしされながらチェックされていた。次にオリジナルアンソロジー全盛期には大体なんでも(珍妙なものでも)掲載されるようになった。最終的に、スモールプレスからしか出版されなくなると(スモールプレスはラファティを好きで出版したいので)、どんなものでも出版されるようになった。つまりどんどんクオリティコントロールが緩くなっていったのではないか。
ラファティはインテリであり天才であり、しかしながら生のまま、例えるなら原木である。そこから仏を取り出すには、デーモン・ナイトのような編集者がノミを当てて彫ってやらなくてはいけない。とはいえ、不備があったり、オチてないもののほうが、ラファティの思想がよく見える場合もあるかもしれない。

 * * *

尻切れトンボであるがノートはここまで。丸括弧内は打ち込み中に自分で付け足した部分など。『第四の館』は順調にいけば夏ごろ(8〜9月あたり)に出せるかもしれない、とは国書刊行会の樽本氏の談。SF大会あるいは京フェスでの刊行記念ラファティ企画が期待される。
また企画終了後、柳下氏にラファティ読解について質問をさせていただいた。宗教的なバックグラウンドがあるとはいえジョークはジョーク、SFアイデアはSFアイデアであり、階層の弁別が必要となる。この際、象徴レベルを読み取るための下準備として、「聖書」「金枝篇」あとはユングなどの知識があるとよいとのアドバイスをいただく。とするとラファティがちょくちょく言及する文学者の諸作も当然「読んでおくことがのぞましい」んだろうな。最後に、出演者、企画提供のみなさん楽しい時間をありがとうございました。

蛇足。スワンウィックの「絶望とダック・レディ」はパラグラフごとに同意し、笑い、落ち込みたくなるようなラファティファン必読の見事なものだが、個人的にもっとも堪えたのが以下の文。「レイフェル・アロイシャス・ラファティについて書くとき、つい彼のようにやってみたくなる。(中略)だが、失敗するのがおちだ。ラファティのゲームで彼に勝てるわけがなく、実力差のあまり間抜け面をさらすはめになる。」 ハイまったくそのとおり……。
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2011年04月23日

「翼の贈りもの」

R・A・ラファティ 青心社/青心社SFシリーズ

『翼の贈りもの』を手に入れたぞ。
というわけでミニブログのほうでとっていた読書メモを纏めてみた。アレ読みにくくなるしな。スポイルを避けるつもりでストーリーの展開には極力触れず、むしろ連想と妄想に注力してみたので割と訳のわからないものになっているが、とにかく楽しかった。本を読むとき自分がこういう枝葉末節ばかり気にしているのが分かって愉快。

*以下のメモ書きに書いてある解釈はすべて自分の思い込みであり、【】でくくられた言葉だけが実在しますから。あと普通のカギ括弧でくくられた作品名はすべてラファティ作品のタイトルですから。

「だれかがくれた翼の贈りもの」:
ラファティの人類進化SFといえば「日の当るジニー」。生物集団が丸ごと進化したり先祖帰りしたりする超絶進化理論が語られる。地理歴史、理科はともかく、人類スケール以上の概念は素材として割り切っているのだろうか(と言ってみたけど、新人類ネタは割とある。シンプルに超天才とか、手が取れるのとか、眼球がカラフルなドロドロになるのとか、千差万別だけど)。
さて新人類に生える翼が、精神的なギフト、早すぎた才能だってのは言うのも野暮。時代にそぐわない若者は「太古の殻にくるまれて」にもいて、これは逆に皆が忘れた過去を覚えている若き恋人たち。「翼」では来るべき光、「太古」ではかつてあった光に触れるために、どちらも飛翔する。(同じく飛翔をあつかった「空(スカイ)」ではどうだったっけ? 要再読)
一方で、将来の完成のための犠牲であり、いずれ消え去る若者たちと書いてみると、今度は「山上の蛙」の宇宙人。若者のやかましく醜悪な面(蛙)と儚く優美な面(翼)。どちらでも若者と大人が断絶しているとかそれっぽいけど、たぶん、あまり関係なさそうな。オガンダたちにも彼らにとっての光があるのだろうか。

「最後の天文学者」:
天文学が疑似科学と化す、という状況設定は、これまた「太古の殻にくるまれて」と共通。どちらにせよ、世界のありさまそのものから無用の烙印を押された信念、信仰。その担い手の話。このラストの残酷で、グロテスクで、それでいて切ない美しさは堪らないな。【あなたには星の花が見えるようになるの。】
で、信念に殉ずる寓話と考えたらば、どちらでも「天文学」が指し示しているのはきっと宗教(精神的な真理探求)のことだ。とくに「太古」は洞窟の寓話を踏まえた精神的な光と暗がりについての構図っぽいので、割とそれっぽくないだろうか。天文学と言えば天動説を否定した学問という連想が真っ先に働いてしまうけれど、天文学者にして宇宙飛行士の主人公は失われた宇宙の広大さを惜しみ、代わりに彼らを取り巻くようになった虚無に慄くので、割とこのなぞらえは成立しそうだ。
しかしラファティはチャールズ・フォートを便利に使いすぎではないか。「翼」でもちょっとあったし。

「なつかしきゴールデンゲイト」:
ラファティ世界では悪は実在する。それは紛れて暮らす古代種族であったり、秘密を隠した宇宙人であったり、未来世界の支配者層であったりするが、とにかく嘘を真と称して生を欺くもの、人々の精神をプログラムして生を奪う存在。一例として、飲み仲間サイモンの言う【悪の存在しない世界】とは、「蛇の名」の惑星だろう。
ラファティ世界において生は物語であり、一つの仮想であることが多い。つまり酒場の劇はこの世の縮図。しかし悪の死によってその世界は結末を迎え、来週からは別の壁紙で別の物語が始まる。繰り返す終末とそれを超えての世界の刷新は、『パストマスター』にもある通り、ラファティ世界のもう一つの法則。ここでは90年代風から20年代風への刷新、つまり時代の変転とも重なる。

「雨降る日のハリカルナッソス」:
歴史、地理、言語をくすぐりネタを並べて、ありふれたSFアイデアとひねった接続をするのがラファティの十八番。しかし博物館のメンバー選定が謎だ。まあ冒頭からして屁理屈と深読みでこじつけているわけだから、特に誰でもいいのかもしれない。(ラマ・ハマ‐ガマってひとだけ知らないが誰だろう)。聖者となるには死ななくてはいけないというテーゼがさらっと紛れ込んでいるが、意味深だ。
冒頭三編は割と情感をみせた短篇だったが、ここにきて人を喰ったユーモアが飛び跳ねる小話。見え見えのメインアイデアまでわざとらしく、勿体ぶって進む展開は(男二人が酒場をぶらぶらしているのもあって)僕の好きな「うちの町内」を思い出す。やはり楽しい。

「片目のマネシツグミ」:
ラファティには賢者、天才博士たちがよく登場する。ときに人をペテンにかけ、魔術的な世界に片足を置く、不純粋な科学者。「数学さえも神話学のように響く」賢者。おそらく彼らは、ただの人である我々に栄光を届ける超越的な戦いの闘士でもありうるのだろう。人を欺く悪と境界を接しているきがしないでもないが、何らかの弁別方法があるのだろうか。【あの誰にも真似ができない侮蔑と傲慢さに満ちた歌声! そして火と燃える強い信心】というからには信心の有無がすべてなのかもしれない。そしてペテン師であることは、それが信心のもとにあるかぎりむしろ望ましい物となりうるのか。甘い歌声よりもよほど。【もっと大きなだれかが、時折、しばしば、この手の物語を私に話し聞かせてくれる。】には、やはり神の存在を感じる。

「ケイシィ・マシン」:
一つの寓話ではあるのだが、それをSFに落としこむための豪腕疑似科学理論が炸裂。生きながら審判を受けた小集団を呼び水として現象が先にあらわれ、後付の動作原理が選び出され、最後にもっともらしい機械が発明される。ケイシィ本人の意思とはかかわりなく。
【すべての真実の「瞬間」は永続性を持っている。しかし私たちがいつもその内側にいるわけではない。】 決め台詞きました。真ん中に置いてあることもあり、短篇集のテーマとしておそらくこれを狙ってるのかな。「翼」の若者たちは未来にある真実を目指しているのだろうし、「天文学者」は真実への道しるべを失ったのだろう。「片目」のトビアスの種族的記憶も同様。
【そもそも重力とは、重力以外のさまざまな力が多く寄り集まって生じていたものだったのだ。】「スナッフルズ」のフィーランの推論を思い出す。しかしここでもやはり地球スケールがサイズの上限のようだ。というか、地球で十全であるということか。地球上に現れる力はすべて地磁気を始めとした地球物理学的現象の総体によっているそうで、ラファティはこれを【情緒的な成分】と言う。フィーランよりは、「豊穣世界」の子供の第三の親は惑星そのもの、というテーゼだろうか。「最後の天文学者」では、火星は非合理な世界だという。われわれの立つ大地、地球が、肉体とも精神とも不可分であるということ。地学(地球惑星科学)、というか岩、大地がお好きなのか、何かと岩や地形は比喩やモチーフとして登場する。
忘却される“十一日間の驚異”(イレブンデイズ・ワンダー)……「その町の名は?」みたいだなーと思いつつ、アレも本来は(着想の根は)これと同じ物語だったのだろうか。あれのまるでシカゴが理想郷のように語られているのもその影響だったりして。語り手は忘却しているが、永遠の瞬間を覚えている人びとはいる。かつてあり、いずれきたる真実の瞬間を探しながら生きる物語。

「マルタ」:
苦虫ジョンきたー。見事な口上から始まる酒場の物語りが再び。しかもこれは異国趣味がふんだんに盛り込まれた一篇でもある。舞台はアラビア語圏の小さな港町、人名や名詞から察するにおそらく西アジアか。なかなか珍しいシチュエーション。マルタの身の上話や、ジョンの冒険譚の一部をダイジェストで語るくだり、愉快な物語りの妙味が凝縮されている。

「優雅な日々と宮殿」:
【第一級の笑いには、何ものにも打ち勝つ奇跡の力が備わっているのさ。】 しょっぱなから、かましてきました。何ものにもってのは半端な話じゃなくて、人と神の関係においてすら、この理は働くという。続けてくらくらするようなアクロバットが連発される。例えば、秘伝のシチューのように、神が作ったのではない小世界の秘密を知ることで、神を出し抜くことを主張する。私たちが神の夢に過ぎないとしても【神に悪夢の手触りをとくと味わってもらおうではないか。】と吹く。不遜だなあ。同じマッドサイエンティストの傲慢でも、トビアス・ラムの信心深い嘲りとは正反対である。ラファティ的には不遜は罪なんだろうか。
天才グリッグルス・スウィングが己の正体をはぐらかすあいだ、延々奇妙奇天烈な哲学が議論され、同じくらい奇天烈なディナーとそのテーブルマナーが語られる。味はさっぱり思い浮かばないけど、妙に儀式的だったり魔法的だったりする食事シーンが多いのもラファティの売りだと思っている。狩りで仕留めた獲物をキャンプで食べたりとか。
さらにオチより驚いたのが、【十九世界】【ベータ・ケンタウリの惑星アパテオン】という記述……居住世界シリーズだったらしい。ここにきて、既訳短篇中ではほのめかしだけだった、油断ならない交易惑星の一部(のさらに一地域)が明らかに。苦虫ジョンシリーズ、居住世界シリーズ、と来たので不純粋科学研究所シリーズもほしいところだけど。残り三篇には無さそう。

「ジョン・ソルト」:
話自体はシンプルだが、イカサマ説教部分がそれなりに含蓄深い。山を動かすのが奇跡ではなく、山を保ち続けることこそ奇跡だ。この世に信仰心があるからこそ大地は安定し、人は生きている。存在そのものが神の奇跡だという。ここでは(イカサマ師なので)続けて、私の信仰心のおかげだから寄進せよ、と続くわけだが、本来はすべての人びとの信仰心、義心をあわせて世界が保たれていると説かれるべきなのだろう。

「深色ガラスの物語」:
古代人、突発的氷河期、真実から閉ざされた人々、暗殺される変革……ラファティとっておきの舞台装置が重なり、そのものが物語る。短篇集の中でも特に変わった話だ。さしあたりのキャラクターさえいない。
世界の生ける霊がネアンデルタール人の町の窓ガラスに、朝霜によるステンドグラスを描く。この惑星の情緒的な部分がまた顕れた。世界の霊は気象でもあり、生物、無生物、人間の区別なく同化し、力を及ぼすという。「天文学者」で体重計に人格を与え、「豊穣世界」で早熟な子供を産んだ霊の働きとはこういうことなのだろう。そして霊が人にも宿る以上、ここで現れる霜のステンドグラスは、人の作る芸術作品(ラファティは作家だから小説か?)そのものの寓意、というか上位互換である。結末からしても、そういうことだろう。
「ケイシィ・マシン」とはちょっと手順がズレているが、示していることはきっと同じ。栄光の時代は存在するが、今、われわれはそれ忘れている、という世界からの呼びかけ。シリーズもの二編と、信仰を扱った小品をはさみ、ラスト直前にこれ。だとすると、いささか周到に編集されすぎなような。

「ユニークで斬新な発明の数々」:
今この瞬間からを宇宙誕生の七分間として、まったく新しい何かを創りだそうと挑む。これも一種の草の日々を勝ち取ろうとする闘士だろうか。電車にボックス席にのりあわせた人々であるが、ラファティなマッドサイエンティストの面々を思い出す。
この宇宙を律する(らしい)ホーキンスの自己回帰原理とやらが語られるが、それがまた「優雅な日々」のはぐらかしに輪をかけて奇妙な問答の数々。普段はあまり似てるとは思わないけど、SF宇宙論めいててラッカーのあれやこれやっぽい。これまで推測してきた真実の瞬間のメッセージがこの短篇にも適用されるなら、宇宙の始まり=真実はいつでもそこあるという下支えになるのか。
煙に巻くような議論の一方で、世界の有様は彼らの思いつきのままに変貌する。不気味で陰惨な出来事が淡々と進行する、薄暗い夢のような手触りが気持ちいい。ラファティは怪談もいい。効果もキマって綺麗にまとまる、締めくくりにふさわしい。

というわけで十一篇全部だらだらっとやってみた。井上さんがどのような意図で編集したかは、通読すると並べ方とかからなんとなく想像できる感じ。まぁ解説にきっと書いてあるはずなんだけども。
未読の人がこのメモ書きを読むことはあまりないと思うけど(といいつつ既に一度ミニブログ上で公開しているわけだが)、『九百人のお祖母さん』収録作のようなジャンルよりの作品が、この短篇集ではむしろ箸休め的に配置されている。早川書房の短篇集を既読の人は、ああいうのだという先入観を持たないほうがいいかも知れない。こういう苦かったり硬かったりする側面がラファティにもあるっていう紹介はありがたいと思いながら、そういう傲慢な心配もしてしまうのだ。しかしとにかく翻訳で読めるってだけでありがたい。もっとあれもこれも翻訳されないだろうか。自分でも読んでみてはいるけど、やはりラファティの言語センスは生半な語学力では突破できないので。
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2010年01月01日

十二月日記

こたつでうたた寝しながら12冊。年末に向けて気が散りすぎ。
09年全体では180冊前後というところ。前から気になっていた「名作」を読んだ、というのが多かった気がする。

12/31 「S-Fマガジン10年2月号」「パラダイス・モーテル」を読む。
12/29 「覗くひと」を読む。
12/26 「死の床に横たわりて」を読む。
12/25 「世界名探偵倶楽部」を読む。
12/24 「奇跡のエコ集落ガビオタス」「ババ・ホ・テップ」「ダーウィニズムと人間性の諸問題」を読む。
12/13 「NOVA 1」「S-Fマガジン10年1月号」を読む。
12/6 「S-Fマガジン09年12月号」を読む。
12/1 「壊れやすいもの」を読む。

せっかくなので去年読んだものから印象に残っているものつらつら。既に定番になっているもの、あるいは誰かのお薦めのものが多いのは、ええ当たり前でした。あとどうしても痛かったり暗かったりするもののほうが印象に残る。

「死の床に横たわりて」 誰一人気にしないままドツボへ旅する棺桶。
「ババ・ホ・テップ」 ピタゴラスイッチ一九六八の夏。
「ロードマークス」 ゼラズニイの非人間キャラはみんな可愛い。
「迷路のなかで」 消え続ける雪上の足跡をたどる。
「眠れ」 「ゴスプランの王子様」。
「舞踏会へ向かう三人の農夫」 断絶は広く、踏み入れるとポストモダンになる?
「「天使」がわかる」 メソポタミア、ミトラ、ゾロアスターも。
「ゴルフ場は自然がいっぱい」 環境経済中心に生物地理なトピックもあり。
「ドクター・アダー」 まさか宇宙人まで出てくるとは。
「博物学の黄金時代」 エリザベス朝哲学の実践としての"科学"ブーム。
「タクラマカン」 チャタヌーガはやはりすごい。
「ペルディード・ストリート・ステーション」 モスラvs宇宙グモvsメカカウンシル
「サイバービア」 六〇年代の夢の上にループが空転する。
「機械という名の詩神」 どんなもんかとエリオットとか読んだ。ベケットは挫折した。
「リスクにあなたは騙される」 恐怖市場という祭壇。
「タンジェント」 このあたりの人は話題に上がらない気がする。
「光の王」 閻魔様無双。
「忌まわしい匣」 異形コレクションのよい部分とか。
「アーサー王ここに眠る」 異装少年/少女は可愛い。
「現代フランス文学13人集・3」 クノーやばいと思っていたが他の人もたいがい。
「地獄のコウモリ軍団」 ここが南部か。
「いずれは死ぬ身」 ダイベック「ペーパー・ランタン」とかイモとかナマズとか。イカスミとか。
「聖女チェレステ団の悪童」 黒ヘタリア。
「木のぼり男爵」 男爵は言葉の葉群に消えていく。
「この不思議な地球で」 今はこのあたりの系統のSFが好きだな。
「部屋の向こうまでの長い旅」 伏線を回収しないという回収が鮮やか。
「太陽の帝国」 廃墟に飛行機。
「アッチェレランド」 マックス家の優しくないドラえもん。
「琥珀捕り」 アイルランド。
「サマー/タイム/トラベラー」 価値あるいは可能性の流束。
「ウォッチメン」 メイキングから設定集まで楽しい。
「マーブル・アーチの風」 気軽に気持ちいい話といえばこのひと。
「アメリカン・ゴッズ」 本筋はともかく脇筋が絶品。
「ネバーウェア」 地下鉄に封土が欲しい。
「虚構機関」 円城塔「パリンプセスト」。
「四畳半神話大系」 腐れ友情の凱歌(まねしてはいけない)

09年に出た本が赤いはず。
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2009年11月30日

十一月日記

それどころじゃないのについ11冊。あと参考書とか。

11/28 「ロードマークス」を読む。
11/27 「すばらしい新世界」を読む。帰国。
11/25 「迷路のなかで」を読む。
11/20 「夢の島」を読む。
11/19 海外出張。
11/18 「眠れ」「病気はなぜ、あるのか」を読む。
11/17 「自己組織化と進化の論理」を読む。
11/16 「建築する動物たち」を読む。
11/14 「闇の奥」を読む。
11/3 「舞踏会へ向かう三人の農夫」「新アラビア夜話」を読む。
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2009年10月31日

十月日記

20冊ほど読む。あと参考書とか。

10/28 「箱舟の航海日誌」「狂気の愛」を読む。
10/25 「時の娘」を読む。
10/22 「宇宙に取り憑かれた男たち」「生き物屋図鑑」「変身、掟の前で」を読む。
10/21 「気になる部分」を読む。
10/19 「月は地獄だ!」を読む。
10/17 「「天使」がわかる」を読む。
10/16 「ゴルフ場は自然がいっぱい」「トリプルプレイ助悪郎」を読む。
10/15 「砂の女」を読む。
10/15 「イングランド・イングランド」を読む。
10/14 「黒い時計の旅」を読む。
10/12 「ねにもつタイプ」「夢のかけら」を読む。
10/8 「洋梨形の男」「あなたのための物語」を読む。
10/7 「現代イタリア幻想短篇集」を読む。
10/6 寝ていた。
10/4 「ドクター・アダー」を読む。
10/3 宴会でへばる。
10/1 帰宅。
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2009年09月30日

九月日記

やることしないで27冊未満。

9/30 出張る。「ハードシェル」を読む。
9/29 「世界の文学・新集43」のクノーを読む。
9/28 「S-Fマガジン09年11月号」を読む。
9/24 「外套・鼻」「世界SF大賞傑作選5」を読む。
9/23 「カフカの父親」を読む。
9/22 「ウォレスとグルミット」など観る。「めくるめく世界」を読む。
9/21 「エリオット全集・詩」「血の雨」を読む。
9/20 休養。
9/19 作業。「ランゲルハンス島航海記」「内海の漁師」を読む。
9/18 「博物学の黄金時代」を読む。
9/17 「スラムドッグ$ミリオネア」「地下鉄のザジ」を観る。「タクラマカン」を読む。
9/16 「フィシオログス」を読む。
9/15 「英国王給仕人に乾杯!」観る。「ペルディード・ストリート・ステーション」を読む。
9/14 「魔法昔話の研究」を読む。
9/13 「白魔」を読む。「レスラー」観る。
9/12 「お行儀の悪い神々」「サイバービア」を読む。
9/11 「人狼伝説」を読む。
9/10 「S-Fマガジン09年10月号」を読む。
9/9 「ダーウィンの『種の起源』」を読む。
9/8 「サマーウォーズ」観てくる。「開かれ」をめくる。
9/7 「機械という名の詩神」を読む。
9/6 「人類生態学」を読む。
9/5 「選挙のパラドクス」を読む。
9/3 「10万年の世界経済史・下」を読む。
9/2 「10万年の世界経済史・上」を読む。
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