2009年06月23日

「木のぼり男爵」

イタロ・カルヴィーノ 白水社

啓蒙時代のフランス。森や果樹園が広がる緑豊かな田舎オンブローザを治めるコジモ・ロンドー男爵は、少年のころ食事の席でエスカルゴ料理に癇癪を起こしてとびだして以来、一歩も木から下りていないのであった。

というわけで「我らの祖先」三部作を消化完了。圧倒的な虚構がやすやすと紡がれ迫ってくる驚異の一冊。常に樹上という制限が架せられているはずなのに、却って物語の想像力は解き放たれ、田舎貴族の物語から虚構の彼方へと飛んでいく。男爵は木に登ったまま初恋をし、農民を助け、学問を修め、盗賊と仲良くなり、トルコの海賊と戦い、革命を支持する。樹上生活のためのもっともらしい仕掛けや日々の営為が出てきたかと思えば、樹上で仇敵と切り結んでしまうような派手な活劇が飛び出し、挙句史実の大事件や『戦争と平和』と交差する領域まで突き進む。
何が出てくるか解らない物語ではあるが、貴族一家とコジモの初恋の少女ヴィオーラの強いキャラクターがきっちりと一つの物語として繋いでいる。特にヴィオーラのお嬢様っぷりは素晴らしく、やはりお嬢様はかくあるべしだよなぁなどと思った。それはさておき、冒険の果てコジモは徐々に狂気に囚われ、物語は現実の足場を失い最期には文字通り宙に消えてしまう。語り手である弟が、虚構のなかに消滅した兄を思い返すしめくくりはしんみりする。格好良かったので丸々メモしてしまう。

オンブローザはもうないのだ。広々となった空をながめながらわたしは、ほんとうにオンブローザは存在したのだろうか、と考える。木の葉や枝や、枝の分かれ目、葉の切り込み、羽毛のような芽ばえなどが刻む、こまやかな、はてしないぎざぎざ模様、そして、不規則な閃光と断片とでしかない空――それはきっと、兄がしじゅうからのような軽やかな足どりで通って行くためにだけあったのだろう――これらは無の上に織りなされたレース模様だ。まるでわたしがページからページへ走らせたまま、削除や割り込みや、神経質ななぐり書きや染みや空間やでいっぱいになっている、この行列に似ている。時には明るい大粒のぶどうのようになって零(た)れ落ち、時にはあわ粒みたいにちっちゃな記号(しるし)になって凝り固まる。身をくねらせたり、枝分かれしたり、あるいはことばの果実を木の葉か雲の形をした囲みで結んだり、それからまた鉢合わせしたりして、どんどん走り続け、また解(ほぐ)れ、そしてことばや思想や夢の最後のばかげた一房を生らして、おしまいになるのだ。
posted by 魚 at 05:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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