2009年09月08日

「10万年の世界経済史」

グレゴリー・クラーク 日経BP社

計量経済学、というらしい。「マルサスの罠」を修正・一般化し、産業革命までの人類10万年の歴史はこの法則に支配されてきたと説明する。さらに産業革命がイギリスで起きた理由、産業革命以降の世界についても推察する力技の大著。
産業革命まで、人間は世界中どこでも出生率と死亡率の均衡点である最低生活水準で生活していた。出生率を制限すると平均余命、生活水準ともに向上し、逆に死亡率が制限されると平均余命が延びる一方で、人口は増え生活水準は低下する。各時代、各社会ごとに人口や生活水準が違って見えたのはこの変化にすぎず、あくまで自動的な均衡化プロセスからは外れていなかった。しかし、それは必ずしも常にギリギリの生活というわけではなく、むしろ充分に余裕があることのほうが多かった(当然、社会全体の人口によって決定する)。筆者は飢饉や疫病の記録、財産譲渡など経済活動の記録をデータ化し、マルサス的経済モデルの普遍性を検証していく(ただし現存する文書記録で、しかも各社会間の経済価値の換算などが間に挟まっているので若干不審、グラフのプロットも粗く見えるし)。
次いで、産業革命が古代や東洋ではなく十八世紀イギリスで起きたのは、一万年近いマルサス的経済の法則が淘汰圧となり、文化的・遺伝的な進化を社会にもたらしたためだという。ここまでいくと大言壮語臭いが、多産多死な社会において中流以上の子供が下流へと降りていくのはありうることで、作者はそれによって努力、蓄財、出生率抑制などマルサス的経済で成功する人間の資質が社会にいきわたり、近代的な経済の基盤となったのだと言う(一方、中国や日本では社会を変質させるほど中流以上の出生率が高くなかった、と)。そもそも産業革命は複数の現象(人口増大、米国農地の拡大、エトセトラ)が共同したもので、政治経済的な理由、レシピのもとでおきたものでもない。
まぁ実際にどうだったかはともかく、筆者の観点は刺激的なのは確かだ。各社会の経済的成果は、それぞれの社会制度のインセンティブと情報により、同じ条件なら誰もが経済的に同じ行動をとり同じ成果が得られる、という通念に疑問を提示する。すなわち、人間の基本的な嗜好、性質そのものが変化していたということ。
posted by 魚 at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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