尾形希和子/武田雅哉
伝説奇説趣味にはお馴染みの『植物羊』バロメッツ。その伝説の起源を探るリーの19世紀末の論文「タタールの植物子羊」と、それを踏まえたラウファーの20世紀初頭の論文「ピンナとシリアの子羊」収録。面白かった。こういう博物学的民俗的研究は好きだな。正しさとかじゃなく、色々な資料や推論。そして表れる真相。
以下私的に適当ノート。興味がある人は直接原典を読むほうがいいのは当然。
これまで(リーの論文のかかれた19世紀末より前)バロメッツ伝説の起源とされてきたのは、中国製の細工物である。シダの根茎をひっくり返し、根塊を胴体に茎の付け根を手足に見立てたものだ。それは本末転等であり、バロメッツ伝説の起源はインドや中央アジアでの綿花栽培に関する記述である。ギリシャからヨーロッパを経て伝わるうちに、「羊毛のような実」が単純化して「羊の実」になったというわけだ。そしてバロメッツが定着したため、中国のシダ細工がバロメッツとして西方へ紹介されることになったということだ。
しかしラウファーはシダ細工に関してはリーの説を認めるものの、綿花説は否定する。リーが見落としたのは中国にも伝わる「植物羊」伝説である。中国やそもそもギリシャ文明に綿花が知られていないとは思えない。ラウファーは「後漢書」に記されるもう一つの奇怪な生物がカギだという。水の中に住むという「水中羊」。これは足糸によって海底に固着する、ピンナという貝の記述が変化したものだという(ピンナの足糸は実際に織物に使われるらしい)。海底に根をはり羊毛を産出する植物動物についての自然哲学的記述は、西方から広がる途中でキリスト教のアレゴリーに使用される。それは当時キリスト教国家であったシリアで起きたに違いない。キリスト教徒のシンボルである「子羊」が、現世に結び付けられている姿である。「子羊」は臍の緒を無理やり切ると死んでしまうが、武装した牧人が脅かすと自然に切れて自由になる。これは、最後の審判における死の天使や四騎士の選別を表している。この「寓意」が唯物的に解釈され、東方の植物羊は完成する。(このあたりの推論すごく危なっかしいけど、だがそこが超面白い。苦笑にスリリング)
訳者あとがきではまた別の視点が紹介される。「植物動物伝説」の別バージョン、貝から生まれる雁「バーナクル」。(人間が生る「ワクワクの樹」ってのもある。ワクワクの樹が生えるワクワク島とはワ・クワァク=倭国、つまり日本のことだそうな)この「バーナクル」はバロメッツと同じ羊Baranを語源にしているらしい。草羊と貝鳥が混同されるのも不思議だが、音韻的に似ているそうだ。ようするに植物・動物が混同されるようなナニカがあって、それがスコットランドでは「エボシガイと雁」、スキタイでは「子羊とメロン」とそれぞれご当地お馴染みのモチーフになった可能性が高いという。(メロン=ヒョウタンは東洋では無限を内包する小器のシンボルである。そのあたりにも根拠があるのやらないのやら) 「羊」と「樹」、キリスト教や神秘主義ではなかなかいいシンボルの組み合わせである。なぜ「バロメッツ」の図像はそんなにメジャーにならなかったのか。実際、ご利益があるという伝承もあったらしい。「世俗に繋がれたイエス」とも読めてイメージが悪いからとか、あるいは植物・動物の二原理合一は性的な連想を誘ってしまうからとか、なんか色々言われているけれど。はてさて。