2011年04月23日

「翼の贈りもの」

R・A・ラファティ 青心社/青心社SFシリーズ

『翼の贈りもの』を手に入れたぞ。
というわけでミニブログのほうでとっていた読書メモを纏めてみた。アレ読みにくくなるしな。スポイルを避けるつもりでストーリーの展開には極力触れず、むしろ連想と妄想に注力してみたので割と訳のわからないものになっているが、とにかく楽しかった。本を読むとき自分がこういう枝葉末節ばかり気にしているのが分かって愉快。

*以下のメモ書きに書いてある解釈はすべて自分の思い込みであり、【】でくくられた言葉だけが実在しますから。あと普通のカギ括弧でくくられた作品名はすべてラファティ作品のタイトルですから。

「だれかがくれた翼の贈りもの」:
ラファティの人類進化SFといえば「日の当るジニー」。生物集団が丸ごと進化したり先祖帰りしたりする超絶進化理論が語られる。地理歴史、理科はともかく、人類スケール以上の概念は素材として割り切っているのだろうか(と言ってみたけど、新人類ネタは割とある。シンプルに超天才とか、手が取れるのとか、眼球がカラフルなドロドロになるのとか、千差万別だけど)。
さて新人類に生える翼が、精神的なギフト、早すぎた才能だってのは言うのも野暮。時代にそぐわない若者は「太古の殻にくるまれて」にもいて、これは逆に皆が忘れた過去を覚えている若き恋人たち。「翼」では来るべき光、「太古」ではかつてあった光に触れるために、どちらも飛翔する。(同じく飛翔をあつかった「空(スカイ)」ではどうだったっけ? 要再読)
一方で、将来の完成のための犠牲であり、いずれ消え去る若者たちと書いてみると、今度は「山上の蛙」の宇宙人。若者のやかましく醜悪な面(蛙)と儚く優美な面(翼)。どちらでも若者と大人が断絶しているとかそれっぽいけど、たぶん、あまり関係なさそうな。オガンダたちにも彼らにとっての光があるのだろうか。

「最後の天文学者」:
天文学が疑似科学と化す、という状況設定は、これまた「太古の殻にくるまれて」と共通。どちらにせよ、世界のありさまそのものから無用の烙印を押された信念、信仰。その担い手の話。このラストの残酷で、グロテスクで、それでいて切ない美しさは堪らないな。【あなたには星の花が見えるようになるの。】
で、信念に殉ずる寓話と考えたらば、どちらでも「天文学」が指し示しているのはきっと宗教(精神的な真理探求)のことだ。とくに「太古」は洞窟の寓話を踏まえた精神的な光と暗がりについての構図っぽいので、割とそれっぽくないだろうか。天文学と言えば天動説を否定した学問という連想が真っ先に働いてしまうけれど、天文学者にして宇宙飛行士の主人公は失われた宇宙の広大さを惜しみ、代わりに彼らを取り巻くようになった虚無に慄くので、割とこのなぞらえは成立しそうだ。
しかしラファティはチャールズ・フォートを便利に使いすぎではないか。「翼」でもちょっとあったし。

「なつかしきゴールデンゲイト」:
ラファティ世界では悪は実在する。それは紛れて暮らす古代種族であったり、秘密を隠した宇宙人であったり、未来世界の支配者層であったりするが、とにかく嘘を真と称して生を欺くもの、人々の精神をプログラムして生を奪う存在。一例として、飲み仲間サイモンの言う【悪の存在しない世界】とは、「蛇の名」の惑星だろう。
ラファティ世界において生は物語であり、一つの仮想であることが多い。つまり酒場の劇はこの世の縮図。しかし悪の死によってその世界は結末を迎え、来週からは別の壁紙で別の物語が始まる。繰り返す終末とそれを超えての世界の刷新は、『パストマスター』にもある通り、ラファティ世界のもう一つの法則。ここでは90年代風から20年代風への刷新、つまり時代の変転とも重なる。

「雨降る日のハリカルナッソス」:
歴史、地理、言語をくすぐりネタを並べて、ありふれたSFアイデアとひねった接続をするのがラファティの十八番。しかし博物館のメンバー選定が謎だ。まあ冒頭からして屁理屈と深読みでこじつけているわけだから、特に誰でもいいのかもしれない。(ラマ・ハマ‐ガマってひとだけ知らないが誰だろう)。聖者となるには死ななくてはいけないというテーゼがさらっと紛れ込んでいるが、意味深だ。
冒頭三編は割と情感をみせた短篇だったが、ここにきて人を喰ったユーモアが飛び跳ねる小話。見え見えのメインアイデアまでわざとらしく、勿体ぶって進む展開は(男二人が酒場をぶらぶらしているのもあって)僕の好きな「うちの町内」を思い出す。やはり楽しい。

「片目のマネシツグミ」:
ラファティには賢者、天才博士たちがよく登場する。ときに人をペテンにかけ、魔術的な世界に片足を置く、不純粋な科学者。「数学さえも神話学のように響く」賢者。おそらく彼らは、ただの人である我々に栄光を届ける超越的な戦いの闘士でもありうるのだろう。人を欺く悪と境界を接しているきがしないでもないが、何らかの弁別方法があるのだろうか。【あの誰にも真似ができない侮蔑と傲慢さに満ちた歌声! そして火と燃える強い信心】というからには信心の有無がすべてなのかもしれない。そしてペテン師であることは、それが信心のもとにあるかぎりむしろ望ましい物となりうるのか。甘い歌声よりもよほど。【もっと大きなだれかが、時折、しばしば、この手の物語を私に話し聞かせてくれる。】には、やはり神の存在を感じる。

「ケイシィ・マシン」:
一つの寓話ではあるのだが、それをSFに落としこむための豪腕疑似科学理論が炸裂。生きながら審判を受けた小集団を呼び水として現象が先にあらわれ、後付の動作原理が選び出され、最後にもっともらしい機械が発明される。ケイシィ本人の意思とはかかわりなく。
【すべての真実の「瞬間」は永続性を持っている。しかし私たちがいつもその内側にいるわけではない。】 決め台詞きました。真ん中に置いてあることもあり、短篇集のテーマとしておそらくこれを狙ってるのかな。「翼」の若者たちは未来にある真実を目指しているのだろうし、「天文学者」は真実への道しるべを失ったのだろう。「片目」のトビアスの種族的記憶も同様。
【そもそも重力とは、重力以外のさまざまな力が多く寄り集まって生じていたものだったのだ。】「スナッフルズ」のフィーランの推論を思い出す。しかしここでもやはり地球スケールがサイズの上限のようだ。というか、地球で十全であるということか。地球上に現れる力はすべて地磁気を始めとした地球物理学的現象の総体によっているそうで、ラファティはこれを【情緒的な成分】と言う。フィーランよりは、「豊穣世界」の子供の第三の親は惑星そのもの、というテーゼだろうか。「最後の天文学者」では、火星は非合理な世界だという。われわれの立つ大地、地球が、肉体とも精神とも不可分であるということ。地学(地球惑星科学)、というか岩、大地がお好きなのか、何かと岩や地形は比喩やモチーフとして登場する。
忘却される“十一日間の驚異”(イレブンデイズ・ワンダー)……「その町の名は?」みたいだなーと思いつつ、アレも本来は(着想の根は)これと同じ物語だったのだろうか。あれのまるでシカゴが理想郷のように語られているのもその影響だったりして。語り手は忘却しているが、永遠の瞬間を覚えている人びとはいる。かつてあり、いずれきたる真実の瞬間を探しながら生きる物語。

「マルタ」:
苦虫ジョンきたー。見事な口上から始まる酒場の物語りが再び。しかもこれは異国趣味がふんだんに盛り込まれた一篇でもある。舞台はアラビア語圏の小さな港町、人名や名詞から察するにおそらく西アジアか。なかなか珍しいシチュエーション。マルタの身の上話や、ジョンの冒険譚の一部をダイジェストで語るくだり、愉快な物語りの妙味が凝縮されている。

「優雅な日々と宮殿」:
【第一級の笑いには、何ものにも打ち勝つ奇跡の力が備わっているのさ。】 しょっぱなから、かましてきました。何ものにもってのは半端な話じゃなくて、人と神の関係においてすら、この理は働くという。続けてくらくらするようなアクロバットが連発される。例えば、秘伝のシチューのように、神が作ったのではない小世界の秘密を知ることで、神を出し抜くことを主張する。私たちが神の夢に過ぎないとしても【神に悪夢の手触りをとくと味わってもらおうではないか。】と吹く。不遜だなあ。同じマッドサイエンティストの傲慢でも、トビアス・ラムの信心深い嘲りとは正反対である。ラファティ的には不遜は罪なんだろうか。
天才グリッグルス・スウィングが己の正体をはぐらかすあいだ、延々奇妙奇天烈な哲学が議論され、同じくらい奇天烈なディナーとそのテーブルマナーが語られる。味はさっぱり思い浮かばないけど、妙に儀式的だったり魔法的だったりする食事シーンが多いのもラファティの売りだと思っている。狩りで仕留めた獲物をキャンプで食べたりとか。
さらにオチより驚いたのが、【十九世界】【ベータ・ケンタウリの惑星アパテオン】という記述……居住世界シリーズだったらしい。ここにきて、既訳短篇中ではほのめかしだけだった、油断ならない交易惑星の一部(のさらに一地域)が明らかに。苦虫ジョンシリーズ、居住世界シリーズ、と来たので不純粋科学研究所シリーズもほしいところだけど。残り三篇には無さそう。

「ジョン・ソルト」:
話自体はシンプルだが、イカサマ説教部分がそれなりに含蓄深い。山を動かすのが奇跡ではなく、山を保ち続けることこそ奇跡だ。この世に信仰心があるからこそ大地は安定し、人は生きている。存在そのものが神の奇跡だという。ここでは(イカサマ師なので)続けて、私の信仰心のおかげだから寄進せよ、と続くわけだが、本来はすべての人びとの信仰心、義心をあわせて世界が保たれていると説かれるべきなのだろう。

「深色ガラスの物語」:
古代人、突発的氷河期、真実から閉ざされた人々、暗殺される変革……ラファティとっておきの舞台装置が重なり、そのものが物語る。短篇集の中でも特に変わった話だ。さしあたりのキャラクターさえいない。
世界の生ける霊がネアンデルタール人の町の窓ガラスに、朝霜によるステンドグラスを描く。この惑星の情緒的な部分がまた顕れた。世界の霊は気象でもあり、生物、無生物、人間の区別なく同化し、力を及ぼすという。「天文学者」で体重計に人格を与え、「豊穣世界」で早熟な子供を産んだ霊の働きとはこういうことなのだろう。そして霊が人にも宿る以上、ここで現れる霜のステンドグラスは、人の作る芸術作品(ラファティは作家だから小説か?)そのものの寓意、というか上位互換である。結末からしても、そういうことだろう。
「ケイシィ・マシン」とはちょっと手順がズレているが、示していることはきっと同じ。栄光の時代は存在するが、今、われわれはそれ忘れている、という世界からの呼びかけ。シリーズもの二編と、信仰を扱った小品をはさみ、ラスト直前にこれ。だとすると、いささか周到に編集されすぎなような。

「ユニークで斬新な発明の数々」:
今この瞬間からを宇宙誕生の七分間として、まったく新しい何かを創りだそうと挑む。これも一種の草の日々を勝ち取ろうとする闘士だろうか。電車にボックス席にのりあわせた人々であるが、ラファティなマッドサイエンティストの面々を思い出す。
この宇宙を律する(らしい)ホーキンスの自己回帰原理とやらが語られるが、それがまた「優雅な日々」のはぐらかしに輪をかけて奇妙な問答の数々。普段はあまり似てるとは思わないけど、SF宇宙論めいててラッカーのあれやこれやっぽい。これまで推測してきた真実の瞬間のメッセージがこの短篇にも適用されるなら、宇宙の始まり=真実はいつでもそこあるという下支えになるのか。
煙に巻くような議論の一方で、世界の有様は彼らの思いつきのままに変貌する。不気味で陰惨な出来事が淡々と進行する、薄暗い夢のような手触りが気持ちいい。ラファティは怪談もいい。効果もキマって綺麗にまとまる、締めくくりにふさわしい。

というわけで十一篇全部だらだらっとやってみた。井上さんがどのような意図で編集したかは、通読すると並べ方とかからなんとなく想像できる感じ。まぁ解説にきっと書いてあるはずなんだけども。
未読の人がこのメモ書きを読むことはあまりないと思うけど(といいつつ既に一度ミニブログ上で公開しているわけだが)、『九百人のお祖母さん』収録作のようなジャンルよりの作品が、この短篇集ではむしろ箸休め的に配置されている。早川書房の短篇集を既読の人は、ああいうのだという先入観を持たないほうがいいかも知れない。こういう苦かったり硬かったりする側面がラファティにもあるっていう紹介はありがたいと思いながら、そういう傲慢な心配もしてしまうのだ。しかしとにかく翻訳で読めるってだけでありがたい。もっとあれもこれも翻訳されないだろうか。自分でも読んでみてはいるけど、やはりラファティの言語センスは生半な語学力では突破できないので。
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2009年09月08日

「機械という名の詩神」

――メカニック・ミューズ
ヒュー・ケナー 上智大学出版/SUPモダンクラシックス叢書

第一章 エリオットは観察する
第二章 パウンドはタイプを打つ
第三章 ジョイスは書写する
第四章 ベケットは思考する
補遺―科学、アクセル、地口

技術(機械)を切り口にしたモダニズム文学の評論であり、また当時の技術認識を探るものでもある。ロンドンの機械化された都市生活を切り取り、リミックスしてみせるT・S・エリオットの観察眼から始まって、「技術」は文芸そのものの技術へ、人間そのものの技術へと拡張されていく。機械のメカニズム、設計思想を美と見なしたエズラ・パウンドの理念。印刷物とナラティブを類別し、その差異を活用したジョイスの文章。しめくくりは役者を束縛し、読者の思考を指示するベケットの統語論的人間観。エリオットの修辞にレポートに追われる学生を見たり、ベケットの一節をプログラミング言語で書いてみせたり、パフォーマンスもなかなか愉快。補遺は、文章技巧と思想の連関について、修辞法を宗教的堕落とした17世紀から、逆に散文を退化とした象徴主義運動まで。
前提としてベケットを少し読んだくらいなので納得とまではいかないがなかなか面白かった。

一、受け手。この受け手は、サッフォーの聴衆のように詩の朗詠を聞くことができるだけでなく、詩を見ることができる資質を求められてる。二、筆記者(現在でいう印刷業者)。筆記者は、視覚に関する指示を正確に再現できること。三、詩人が仕事部屋で詩を創作するときに、じっさいに印刷される形にかぎりなく近い形を再現する方法。つまり、「回帰」は、タイプライターなしには創作されえない詩という二十世紀に登場したジャンルの初期の一例なのである。
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「選挙のパラドクス」

――なぜあの人が選ばれるのか?
ウィリアム・パウンドストーン 青土社

「アローの不可能性定理」とやらを知ったので社会選択理論というらしいそのへんをまとめた本っぽいので借りた。ただ実際は不可能性定理は最初のほうで済ませ、いかに選挙戦略に左右される状況が多いか、それに左右されない「満足のいく」投票方法がないかを検討していく。理論より、お話し仕立ての事例紹介が多め。いかにスポイラーが印象的な問題であるか、またフランス革命から現在まで「コンドルセ勝者」の概念が呪いのような固定観念として支配してきたかにウンザリすること請け合い。
 色々回り道があるが結局、不可能性定理はランキング式投票についてのものだから別の評価方法、別の投票方法を探ろうぜ!となり、選挙シミュレーションを「回避可能だったと予測される不幸」を表すベイズ後悔(Bayesian regret)という量で比較する……という力技をもって『範囲投票』(点数式の評価)に軍配をあげる。例示される一シミュレーション(投票者200人、候補者5名、イデオロギー的論点二点)では、一般的な相対多数式投票は大体半分くらいのベイズ後悔値。つまり現在のアメリカ民主主義において、後悔度は最悪から半分まで削減された。で範囲投票なら、それを四分の一以下にもできるとか。まさかこういう方向の研究を使って結論になるとは思っていなかったので、鮮やかで上手いことやられた気分。
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「10万年の世界経済史」

グレゴリー・クラーク 日経BP社

計量経済学、というらしい。「マルサスの罠」を修正・一般化し、産業革命までの人類10万年の歴史はこの法則に支配されてきたと説明する。さらに産業革命がイギリスで起きた理由、産業革命以降の世界についても推察する力技の大著。
産業革命まで、人間は世界中どこでも出生率と死亡率の均衡点である最低生活水準で生活していた。出生率を制限すると平均余命、生活水準ともに向上し、逆に死亡率が制限されると平均余命が延びる一方で、人口は増え生活水準は低下する。各時代、各社会ごとに人口や生活水準が違って見えたのはこの変化にすぎず、あくまで自動的な均衡化プロセスからは外れていなかった。しかし、それは必ずしも常にギリギリの生活というわけではなく、むしろ充分に余裕があることのほうが多かった(当然、社会全体の人口によって決定する)。筆者は飢饉や疫病の記録、財産譲渡など経済活動の記録をデータ化し、マルサス的経済モデルの普遍性を検証していく(ただし現存する文書記録で、しかも各社会間の経済価値の換算などが間に挟まっているので若干不審、グラフのプロットも粗く見えるし)。
次いで、産業革命が古代や東洋ではなく十八世紀イギリスで起きたのは、一万年近いマルサス的経済の法則が淘汰圧となり、文化的・遺伝的な進化を社会にもたらしたためだという。ここまでいくと大言壮語臭いが、多産多死な社会において中流以上の子供が下流へと降りていくのはありうることで、作者はそれによって努力、蓄財、出生率抑制などマルサス的経済で成功する人間の資質が社会にいきわたり、近代的な経済の基盤となったのだと言う(一方、中国や日本では社会を変質させるほど中流以上の出生率が高くなかった、と)。そもそも産業革命は複数の現象(人口増大、米国農地の拡大、エトセトラ)が共同したもので、政治経済的な理由、レシピのもとでおきたものでもない。
まぁ実際にどうだったかはともかく、筆者の観点は刺激的なのは確かだ。各社会の経済的成果は、それぞれの社会制度のインセンティブと情報により、同じ条件なら誰もが経済的に同じ行動をとり同じ成果が得られる、という通念に疑問を提示する。すなわち、人間の基本的な嗜好、性質そのものが変化していたということ。
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「ミラーニューロンの発見」

――「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学
マルコ・イアコボーニ 早川書房/ハヤカワ新書juice・002

神経科学のメッカはイタリアにあるらしいですね。というわけで神経学/神経生物学の実験者である著者が、「ミラーニューロン」と名付けられた細胞と、そこから期待される展望について色々。人間では言語野などに存在し他者の行動を見るだけで自分も行動しているように反応する「運動ニューロン」。それは単なる学習の結果なのか、それとも学習を可能にするインフラなのか。また認知のためなのか、さらに進んで「共感」や「意思」のような抽象をコーディングしているのか。少なくとも知覚―認知―行動という基本的な「メカニズム」の概念の破壊するものである、と言う。ミラーニューロンの働き、ミラーニューロンと共同して働く部位の機能、模倣や共感が価値判断に与える影響などなど。生理学的な実験から、社会病理まで話は及ぶ。とはいえ中心にあるのは、人間は「心の理論」に基づくシミュレータではなく、他者の感覚を直接自分の身体に映し出す「ミラー」を持っているのだという点。人間がいかにシンプルかつ自動的で、感じているままの存在であるか。曰く、これぞ実存主義的神経学だとか。
昔自分で読んで印象深かった「ミーム・マシーン」なんかを援用してきて、模倣行動の重要性について論じるあたりは楽しい。もう一つのポイントはfMRIや磁場で脳の局在機能を抑制するなど最新の実験・観察システムをガンガン使ったり、発達心理系が専門らしい奥さんやマスコミ企業と組んで色々研究設計したりするところ。心理系の行動実験は気分的にちょっと眉唾になるが、こうもどんどんやってさくさく論を進めれたらさぞ気持ちよいだろう、と嘆息。
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「リスクにあなたは騙される」

――「恐怖」を操る論理
ダン・ガードナー 早川書房

確証バイアスや係留規則など、人間の推測・判断が先天的に持つ非論理性については『脳はありあわせの材料から生まれた』なんかの本で読むことができる。最近の流行なのかもしらん。さて、著者はそれら進化心理学の知見に基づき、人間の非論理的な偏見のなかでも「恐怖」がいかに影響力が強く、そして広く利用されているかを説く。これが前段。そして現代の「恐怖」たちがリスク評価として適正かを詳細にチェックしていく。つかみとして911テロ直後、大量の通勤客が飛行機を避けて自動車に切り替えたため、事故死者が千人以上増えた可能性があるという計算を紹介。大体そういうノリで、諸々の恐怖について直感と統計を比較し、また現実におきた事例を検討していく。ネット上の性犯罪者、化学物質恐怖や癌、伝染病、原子力、環境問題、テロ、政治。多種多様な防犯と自衛のための商品や、広告業界、選挙コンサルタントの手口なんかにも触れる。全部読み通すのはしんどいが、要するに結論としては「とりあえず落ち着け、今ほどよい時代はない」ということである。
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2009年08月26日

「忘却の惑星」

ドナルド・A・ウォルハイム&テリー・カー 編 早川書房/ハヤカワ文庫SF<285>

うーん、これがThe World's Best Science Fiction 1966なー。ちょうどニューウェーブが始まったころじゃなかったっけ?
「太陽からの風」アーサー・C・クラーク 既読。
「時計じかけの医者」ロン・グーラート 見舞いに訪れた病院に入院させられた男。ロボ医者がいい味出している。
「地獄で立往生」ラリイ・ニーヴン 既読。
「居留区」ヴァーナー・ヴィンジ 戦争により北半球の諸国家が壊滅した未来、南極で発見された人々のルーツとは。解説には政治的スタンスによりアナログ誌にはウケなかったと書いてあるけど、アナログが保守っていうよりこの短篇の表現はさすがに直截すぎるっていうか。ギャグ?
「河を渡って木立をぬけて」クリフォード・D・シマック 田舎暮らしの老夫婦を訪ねてきた見知らぬ子供たち。シマックの代名詞である田舎が横溢している。他の時代・他のSF作家なら別に田舎にしないだろうに、田舎。
「忘却の惑星」ジェイムズ・H・シュミッツ いくら昔のSFだからと言って、タイトル作品でまさか惑星間国家が秘密レポートの書類入れを巡ってスパイごっこしてるとは思わなんだ。しかもSFとは関係ないどんでん返しも仕込んであるとか、これはむしろ新鮮。
「「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった」ハーラン・エリスン 既読。
「決断者たち」ジョゼフ・グリーン 地球の植民地対象になった惑星の原住民との交渉。今読むと環境改造計画の大雑把さに笑ってしまう。ていうか最初から地球みたいな環境なのに。
「旅人の憩い」ディヴィッド・I・マッスン 場所によって時間の流れ方の違う世界で暮らす人々。設定押しだけど結構よかった。
「未収録作品」リン・カーター シェイクスピアを打つサルを曲解したホラ話。
「消失点」ジョナサン・ブランド 宇宙人との会談のために作られた小世界の秘密。若干無理がある気もするが語り口や設定の捻りはちょっと楽しい。
「うちの町内」R・A・ラファティ 既読。
「赤色偏移の仮面」フレッド・セイバーヘーゲン バーサーカー退治の英雄を巡り、陰謀家の王とバーサーカーの板ばさみになった宇宙船の船長の話。だから別に宇宙じゃなくてもよいような話を。
「とらわれの魔神」クリストファー・アンヴィル 異星人に収監された地球人が(理科実験レベルの)策を弄して脱獄する話。笑い話にしても色々ぞんざいすぎるような。
「新しき良き時代」フリッツ・ライバー 複数の職業を持つことがステータスである未来、ダメ人間揃いの兄弟と彼らを叱咤激励する母。卑近でスラップスティックなノリなのでそれほど古くない。
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「砂漠の惑星」

スタニスワフ・レム 早川書房/ハヤカワ文庫SF<273>

遭難した宇宙船コンドル号の調査のために、砂漠の惑星に赴いた無敵号。バリアや戦車を積んだ戦闘艦をボロボロにし、乗組員たちを狂死させた未知の脅威とは果たして何なのか。
脅威の黒雲が渦を巻き、核武装戦車が咆哮するSFなスペクタクルをエスカレートさせる一方で、副長・ロハン君が老獪な司令や科学者たちと軋轢しては葛藤し、人間と砂漠の惑星の「最終決戦」に一人で挑むように仕向けられていく。この心理描写と構築がまさに巧みであり、テーマを語る技術に舌を巻く。客観的には最初から最後まで砂漠の惑星に人類は押されっぱなし、ただ現場調査や二次遭難の救助をしているだけなので防戦ですらないのだけど、最後には感動が待ち受けている。精神論ではなく実のある人間の勝利。この機械たちは多分「ソラリス」の海と「ピルクス」が巻き込まれる事故をブリッジするもので、立ち向かうべき「未知」の陥穽は人類が人間として処理すべき事件一般である、という方向を示していると思う。さておき、闘争による機械たちの直線的な発展を生物学っぽい雰囲気で「進化」と呼ぶのはちょっとひっかからなくもないんですが気にしすぎか。
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「がんばれチャーリー」

ポール・アンダースン&ゴードン・R・ディクスン 早川書房/ハヤカワ文庫SF<791>

惑星ニュー・レムリアで休暇を過ごす少年チャーリー・スチュアートは、ホーカ人家庭教師の暴走と、切れ者の地方領主の策謀により、革命に巻き込まれることになる。
ご存知「見立て」「なりきり」を本性とし、西部劇やったり外人部隊やったりする奇妙な宇宙人、ホーカを巡るシリーズ。の長編。宇宙人相手の政治的状況をエンターティメントに見立てられるという時点で既に作者の恣意的な関与が行き過ぎなわけだが、そこを見立てそのもののインパクトで突っ込めなくするという画期的アイデアによる連作である。ここではたぶん中世英国をイメージした惑星を舞台に、予言の王子にしたてられた地球人少年の友情あり陰謀ありの冒険もの。何故か惑星国家が前近代の欧州ノリだったり、星間組織のスタンスがアメリカ的だったりしても突っ込んだほうが負け。でもそこまでやって冒険に真剣見がないというか、あまり盛り上がらないのはどうかと思うんだ。
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2009年08月21日

「セックス・スフィア」

ルーディ・ラッカー 早川書房/ハヤカワ文庫SF<973>

先の無い数学者アルウィン・ビターは休暇に訪れたローマで誘拐されテロリストに売られ核爆弾を作るハメになったが、狂人ラフカディオに託された謎のセックス・スフィアの力によって脱出した先は四次元空間。
おなじみの構成要素を濃縮したラッカー中のラッカーといわんばかりの何か。超SFな手段を手に入れたダメ男、それを締める奥さんor恋人、ポップな振りして妙に生々しく残酷な事件、歴史や文学からのたぶん深い意味の無い引用(今回は『神曲』)、無いプロット、そして「すべてはひとつ」のドグマ。時空連続体から漂い出していくけど奥さんが錘になって引き戻されるとか身も蓋もなさすぎる。作風紹介には手っ取り早い気がする一方で、これは小説というよりただの力技なのでやっぱりウェアシリーズが代表作なんだろうな。ただ爽快。
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